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1940年代、チリ代表ゴールキーパー、     セルヒオ・リビングストーネ


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rulliさん

1920年、チリ生まれ。

【主な所属クラブ】
1938ー1942 ウニベルシダ・カトリカ
1943ー1944 ラシン・クラブ
1944ー1956 ウニベルシダ・カトリカ

チリ・リーグ優勝 2回(1949年、1954年)

【チリ代表】

1941ー1954  52試合出場

「コパ・アメリカ1941 MVP」

彼は、見る者が驚くほど、跳躍力に優れ、
愛称は「エル・サポ(EL Sapo)、: カエル」
だった。

彼は1941年、21才で、チリ代表に選ばれ、
コパ・アメリカに参加して、
いきなり大会最優秀選手になったという
「天才GK」である。

21才で、チリ代表でレギュラーを掴むと、
34才まで代表で活躍し続けた。
コパ・アメリカには6回も参加した。

彼は、チリ・サッカー界のレジェンドで、
南米のレジェンドでもある。

彼のジャンプは、当時の新聞記事で、
「スイス・ナイフのように宙を裂くように飛び、
まるでハシゴでも使っているかのように空中に登る」
と表現されていた。

当時の新聞には、
「彼の出る試合は、お客が多くて混雑していても、
見るに値する」
と紹介されていた。

リビングストーネの活躍は外国の関心を集め、
彼は23才の時、
恐らく、当時、世界で一番レベルの高かった、
アルゼンチン・リーグに挑戦した。

彼は、高額な移籍金で、ビッグクラブのラシンに
入団した。
しかし、彼は鳴り物入りでアルゼンチン挑戦したが、ホームシックにかかり精神は万全でなく、
1年でチリに帰国した。

彼は僅か、1年の在籍だったが、
この年の個人成績は優秀だった
この年、リーグ2位のGKに選ばれた
(チームは6位だった)。

写真、中央でジャンプする黒い服の選手が、
リビングストーネ。

彼は、コパ・アメリカに6回も参加したので、
「コパ・アメリカ、最多試合出場記録、34試合」
を持っている。

彼が引退して、60年以上経つが(2019年現在)、
未だに、誰もこの出場記録を抜けない。

永遠に、誰も抜けないかも知れない。

彼は名選手だったので、代表引退試合の対戦国は、
強豪アルゼンチンに決まった。
この試合は、1954年9月19日、盛大に行われた。
チリはアルゼンチンに4-2で勝ち、
これはアルゼンチン戦、初勝利で、歴史的勝利となった。
34才の彼は、華やかに最後の代表試合を締めくくり、チリ代表の活動(13年間)を終了した。

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