オレ的スポーツニュース速報

様々なスポーツに関する情報をまとめます。

リオ五輪日本メダル過去最高41個獲得!過去オリンピックで日本人がメダル獲得した歴史が凄すぎる!!


日本人初のメダリストは誰?メダルの歴史を振り返る!

日本人が初めてメダルを獲得したのは、1920(大正9)年。ベルギーで開催されたアントワープ五輪に出場したテニスプレーヤー・熊谷一彌選手だ。日本人の参加が2度目となるこの大会で、シングルス・ダブルスともに準優勝し、2つの銀メダルを手にしたという。なんとそれから96年もの間、日本テニス界はメダルを手に出来ずにいる。世界ランキング6位の錦織圭はこの壁を崩せるのだろうか? 目が離せない。

日本人初の金メダリストは

そして、日本人初の金メダリストとなったのが1928(昭和8)年、オランダのアムステルダム五輪に出場した陸上男子三段跳・織田幹雄選手。身長は167cmと小柄だが、走る、跳ぶの両方で活躍できる万能選手だったという。金メダルを獲得した記録は15m21cm。現在は解体されてしまったが、国立霞ヶ丘競技場(国立競技場)には、優勝を記念して織田選手が跳んだ距離と同じ長さの「織田ポール」が建てられたほど。ちなみに現在の日本記録は17m15cmで、30年間更新されていない。

第一回大会では、優勝=銀メダルだった!

1896(明治29)年、ギリシャのアテネで開催されたのが、近代五輪としては最初の大会だと言われている。当時、1位には銀、2位には銅のメダルが授与され、3位には賞状のみが与えられた。
金メダルが無かった理由は、スポーツは純粋に勝利だけを求めるもので、高価な金を与える必要は無いという考えだとも言われるが、当時のギリシャは財政難で、金メダルを用意する余裕が無かったためだとも考えられている。また当時メダルは首から下げるものではなく、手で受け取るだけだったようだ。

第4回のロンドン五輪(1908年)から、金・銀・銅のメダル授与は直径や厚さ、材質に至るまでIOC(国際オリンピック委員会)により規定されている。

ローマ大会の日本男子体操団体優勝からの五連覇が凄すぎる!!

第7回 アントワープ
(ベルギー) 1920 日本勢が初めてメダルを獲得した。

第9回 アムステルダム
(オランダ) 1928 日本初の女子メダリストが生まれた。

第11回 ベルリン
(ドイツ) 1936 マラソンで当時日本の植民地下にあった朝鮮人が日本人として参加してメダルを獲得した。

第17回 ローマ
(イタリア) 1960 男子体操団体で日本が優勝。

第18回 東京
(日本) 1964 男子体操団体で日本が連覇。

第19回 メキシコシティ
(メキシコ) 1968 男子体操団体で日本が三連覇。

第20回 ミュンヘン
(西ドイツ) 1972 日本男子バレーボールが、準決勝の対ブルガリア戦でセットカウント0-2からの奇跡の大逆転劇を演じながらみごとに金メダルを獲得。
日本男子体操が強さを誇り8種目24個のメダルのうち、16個を独占、団体でも四連覇を果す。
個人総合と鉄棒でもメダルを独占した。
「月面宙返り(ムーンサルト)」が初披露された。

第21回 モントリオール
(カナダ) 1976 男子体操団体で日本が五連覇。

第22回 モスクワ
(ソビエト連邦) 1980 ボイコットの為、日本の男子体操団体はローマオリンピックから続けた五連覇が途絶えた。

第28回 アテネ
(ギリシャ) 2004 男子体操団体で日本が24年ぶりに金メダルに返り咲いた。

ヘルシンキに続く56年メルボルンでの団体銀メダルに始り、団体ではその後の60年ローマから76年モントリオールまで前人未到のオリンピック5連覇、体操王国の名をほしいままにしていた。圧巻は72年ミュンヘンでの個人総合、金・加藤沢男、銀・監物永三、銅・中山彰規と表彰台独占するという離れ業までやってのけた当時の体操ニッポン。その後政治的判断でボイコット騒動のあった、80年モスクワではもちろん記録なし。続く84年ロサンゼルスは強豪ソ連や東欧諸国の出場が無かったが3位やや低迷し、このあと優勝からは暫く遠ざかるのです。2004年アテネで再び団体優勝するも、スポーツ大国アメリカや中国の台頭が著しく、前回の北京では地元開催の中国が初めての団体優勝と、体操の勢力地図も随分変わってきましたね。

第1回ヘルシンキ大会での合計9個のメダルから始まり、東京五輪、日本は29個のメダルを獲得!!

第1回のヘルシンキ大会、
日本はレスリングの石井選手の金メダルを含め
合計9個のメダルを獲得したが女性はゼロであった。

次の開催は1956年のメルボルン、
日本のメダル数は合計19個を数えたが
ここでも女性のメダル獲得はならなかった。

続く、1960年のローマ大会、メダル数は計18個、
ここで銅メダルながら初めて女性が表彰台に上がった。

誰だと思いますか? 

名前を聞けば御同輩ならば思い出しますよ、
今なら恐らく????

それは水泳100メートル背泳の田中聡子選手。

彼女は当時、200メートルならば無敵の存在、
8回にわたり世界新記録を更新したのだが
残念ながらオリンピックには200mの種目が無かった。

1964年は御当地・東京五輪、
日本は29個のメダルを獲得する大活躍、
女子も金メダル1個獲得した。

東京大会では柔道が正式種目となり、日本は4階級のうち3階級で金メダルを獲得します。
女子バレーボールが金メダルを獲得する活躍をみせ「東洋の魔女」とよばれました。

一方の札幌オリンピックでは、ジャンプで笠谷幸生、金野昭次、青地清二がメダルを独占。
この日本人選手の活躍は「日の丸飛行隊」と呼ばれました。

1992年バルセロナ 岩崎恭子が金メダル獲得、総獲得数22個

平成になって最初のオリンピックは、1992年のバルセロナ大会です。当時14歳だった岩崎恭子選手が競泳女子200m平泳ぎで金メダルを取り世界を驚かせた事を、今なお覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

これに触発されたかのように、その後の日本人女子選手の活躍が目覚ましく、オリンピックを盛り上げてくれているように思います。また、柔道の谷(旧姓田村)亮子選手やレスリングの吉田沙保里選手、伊調馨選手のように二連覇や三連覇を遂げる選手もおり、息の長い活躍も一つの特徴といえそうです。

1998年には長野で冬季大会が開催されました。この大会ではスピードスケートで清水宏保選手が金メダルを獲得した他、ジャンプでは船木和喜選手と団体がそれぞれ金メダルを獲得し、他にも銀と銅を1つずつ獲得た事で大きな話題になりました。

アテネ五輪 日本、史上最高の健闘!メダル最多37個獲得

アテネ五輪で、史上最多となる513人の選手団を送り込んだ日本は、各競技で大躍進を遂げ、史上最多37個のメダル(金16、銀9、銅12)を手にした。柔道、レスリングなど女子格闘技でのゴールドラッシュ、競泳、体操などお家芸の復活。メダルをめぐるる涙と笑顔のドラマが、猛暑の日本列島に熱い風を吹き込んだ。

 「お家芸復活」。大会中に何度も繰り返された言葉だ。象徴的だったのは体操男子団体の金メダル獲得。76年モントリオール大会以来の団体優勝を勝ち取った。レスリングは88年ソウル大会以来の複数メダルで伝統を守った。

 また、女子の活躍が日本のメダル量産に貢献。今大会から採用されたレスリングでは、金2、銀1、銅1と4階級すべてでメダル奪取し、シンクロでは、デュエットとチームでそれぞれ銀メダルを手にした。ソフトボールは金こそ逃したが、銅メダルを獲得した。

 20年ぶりのメダル獲得となったアーチェリー山本の銀。伏見・長塚・井上が出場した自転車男子チームスプリントの銀、男子レスリング13大会連続メダルを決めた田南部と井上の銅なども、日本のメダルラッシュに大きく貢献した。

-Uncategorized

×