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1940年代、オーストリア・エースFW、 フランツ・ビンダー


この記事は私がまとめました

rulliさん

1911年、オーストリア生まれ。

【主な所属クラブ】
1930ー1949 ラピド・ウィーン 242試合267得点

オーストリア・リーグ優勝  4回
(1935、1936、1946、1948)

大ドイツ・リーグ優勝 1回(1941)

ドイツ・カップ優勝 1回(1938)

オーストリア・リーグ得点王 3回
(1933、1937、1938)

【オーストリア代表】
1933ー1947  19試合16得点

写真、左が、ビンダー。

ビンダーは、身長が190センチもあった。
今でもデカい部類だが、この時代だとかなり長身の
センターフォワードだったであろう。

1930年代のオーストリア代表は、世界で強豪国だった。
オーストリアは、「サッカー大国」だったんです
(現代に生きる人からは想像しにくい事実かも
知れませんが、これは事実なんです)。

彼は1930年代後半は、
この国で最高のセンターフォワードだった。

私見ですが、彼はビカンに次いで、
「オーストリア史上2位のFW」
だと思います。

写真、左、跳んでいる選手が、ビンダー。

身長190センチなので、打点の高さがよく分かる。

彼は、オーストリアのビッグクラブ、
ラピド・ウィーンのエースFWだった。

1934年~1944年迄、「大ドイツ・リーグ」という
ドイツ主導で周辺国も参加したリーグが存在した。
オーストリアも参加した。
1941年、ビンダーはラビド・ウィーンのエースで、
決勝戦(ベルリン開催)で、ドイツのシャルケを倒して
優勝した。
決勝戦のスコアは、4-3。
彼はハットトリック達成で、優勝した。

この優勝は、大ドイツ・リーグで、
「オーストリア・クラブ唯一の優勝」。

またこの時代、ビンダー所属のラピドは、
ドイツ杯にも参加しており、1938年に優勝した。
これも、オーストリア唯一の優勝だった。

当時は「ヒトラーに支配された時代」です。
彼は国民の英雄となり、絶賛されました。

写真、右端が、ビンダー。

彼のキック力を「ロケット砲」と表現する人も
居ました。

彼は1980年代に活躍したファン・バステンと
よく似ている選手だ。
長身だが、体の動きにしなやかさがあり、
遅くもなかった。

ちなみに、彼は「大ドイツ・リーグ」で優勝した
1941年、30才の時、突如、ナチス政権から
「戦争、従軍命令」を受け、4年間も軍隊生活を
送った。
これは当時、「決勝戦で、大活躍した罰」と
噂された。

1943年、彼はロシア戦線に居たが、盲腸手術
の為、帰国した。
その後、西部戦線に従軍し、捕虜となって終戦を
迎えた。

しかし、戦後は「3回、リーグMVP」受賞した。

ビンダーはW杯1934直前、怪我で出場を逃した
(彼が居たら、オーストリアは優勝していたかも
知れない。非常に残念だ)。

そして4年後、彼はW杯1938の時、選手としてピークだったが、大会直前にナチス・ドイツが
オーストリアを占領し併合した為、
自国代表チームが消滅してしまった。

その為、ビンダーはW杯予選を通過していたが
本大会に出場できなかった。
その後、第二次世界大戦が起きた為、W杯開催中止が続き、彼は戦争にまで行かされ、一度もW杯に
出場せず現役を終えた。

彼は偉大な選手だが、W杯出場してないので、
後世では知名度がとても低い。
彼は戦争の巻き添えを食らった、可哀想な選手である。

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