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J2降格の名古屋・・・名古屋のJ1を支えた選手達を振り返ると凄い選手ばかりだった


J2降格という最大の屈辱を味わった名古屋グランパスエイト

最終戦に敗れた名古屋グランパスエイトが、初の降格という屈辱を味わう結果となりました。

サッカーファンにとってはショッキングな出来事だったと言えましょう。名古屋グランパスのサポーターでなくとも、驚いた人も少なくないと思われます。

そこで今まで名古屋のJ1を支えた選手を振り返ると、すごい選手ばかりだった

グランパスの顔、Jリーグの顔・・・「ドラガン・ストイコビッチ」

その実力はJリーグで遺憾なく発揮され、95年のMVP始め、3度のベストイレブンとオールスターMVPを獲得。まだ弱小だった名古屋を強豪チームへと変え、リーグ戦では上位の常連となり、天皇杯では2度の栄冠に輝いた。

日本のサッカーファンは、感謝しなければなりません。選手として脂が乗った時期のこのセルビア人プレイヤーを、Jリーグのピッチで見られたことにー。

1994年の6月13日、彼は来日しました。フランスの強豪クラブチームマルセイユから、Jリーグの名古屋グランパスエイトへ移籍するためです。そこから、旧ユーゴスラビアの至宝、“ピクシー”ことストイコビッチと日本の、監督時代も含めて、20年以上にも及ぶ蜜月は始まったのです。

現役引退するまで名古屋一筋。その間に様々な記憶に残るプレーを披露し、日本のサッカーファンの度肝を抜きます。

土砂降りの雨が降るピッチをリフティングで数十メートル独走したシーンなどは、今でも語り草です。

元イングランド代表のスーパースター 「リネカー」

1993年のJリーグ開幕時に名古屋グランパスエイトに移籍。当時のJリーグ最高年俸(3億円)だった。

ご存知、元イングランド代表でメキシコW杯得点王を引っさげて鳴り物入りでグランパス入り
おかげで、グランパスが世界的に名の知れたチームとなった

グランパスから世界のスーパースターに 「本田圭佑」

高校卒業に際して複数のJリーグクラブから勧誘を受け、名古屋とプロ契約を結んだ。名古屋加入時の契約では本人の希望により「オファーがあれば海外クラブへの移籍を認める」という条項が盛り込まれていた。開幕戦から先発出場してアシストを決め翌年にはレギュラーに定着した。

名古屋では一年目からレギュラークラスとして活躍しました。二年目には完全にスタメンとしてプレーしました。

同じく世界に飛び立った最強DF 「吉田麻也」

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