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ジーコって、どんだけすごかったの!?


ジーコとは…

1953年3月3日、ブラジル生まれ。サッカー選手。

少年時代は、兄たちに混じってサッカーをすることが多かったという。

ちなみに兄もエドゥという人でサッカー選手だったという。

そんな中でジーコはサッカーの基礎を築き、ブラジルの名門フラメンゴへ入団。

しかし、ジーコは体は小さくやせていた。ジーコの肉体改造計画がチームスタッフにより立てられた。その計画により筋トレとホルモン注射などを効率よく行なった。その結果、計画は成功して競り合いに負けない強靱な体を手に入れたという。

サイボーグと比喩されたことも…

フラメンゴでは、10年以上に渡って在籍し中心選手としてプレーし、コパ・リベルタドーレス1981やトヨタカップ、4度のブラジル全国選手権(1980年、1982年、1983年、1987年)で優勝

ブラジル代表へ

フラメンゴで中心選手だったジーコは1976年にブラジル代表に初選出され、FIFAワールドカップへは1978年、1982年、1986年の3大会に出場

特に82年のスペイン大会ではソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾとともに「黄金の4人」を形成。今も「ブラジルサッカー史上最も魅了したチーム」と称えられる。

スルーパスとフリーキックを武器に世界中のファンを魅了したという。ブラジル代表では、72試合に出場し52ゴールを記録。

欧州挑戦と1回目の現役引退へ

1983年にイタリアのウディネーゼへ移籍すると、2シーズン40試合22得点を挙げるなど大活躍

キャリアの晩年はブラジルへ戻り、1989年は32試合出場しながらも惜しまれながら現役引退。

現役復帰とJリーグ参戦へ

日本では プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立が活発になっていた。鹿島アントラーズの前身である住友金属蹴球団もプロリーグ参加を表明。

しかし住友金属蹴球団は2部リーグで鹿島という田舎であった。川淵三郎からは
「住友金属サッカーがプロ加入できる確率は限りなくゼロに近く、99.9999%ダメだ」と言われたという。

そんな川淵三郎を黙らせたのは・・・ジーコであった。

そして、1991年住友金属サッカー部(現・鹿島アントラーズ)に入団し現役復帰をはたすことになる。ジーコの住友金属サッカー部への入団は日本、いや世界に衝撃を与えたという。

ジーコは日本サッカーの発展の為の大事な役割を担う事となった。

ジーコの住友金属サッカー部への移籍によって、住友金属サッカー部を大きく変えることになる。

鹿島では選手としてプレーするだけでなく、現場での全体への指導や試合中の采配も兼任し、カシマスタジアムの芝の長さも自ら決定していた。

Jリーグ開幕を1カ月後に控えた93年4月12日。
鹿島アントラーズは、イタリア遠征第2戦でクロアチア代表と対戦。

しかし、結果は1-8。

唯一の得点を挙げたジーコは、ふがいない戦いぶりに怒りをぶちまけたという。

「おまえたち、それでもプロか! 勝つ気があるのか!」

この試合を境にジーコがチームを掌握した。

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