オレ的スポーツニュース速報

様々なスポーツに関する情報をまとめます。

【どん底から王者へ】岡崎慎司のレスター・シティFC 【堅守速攻】


この記事は私がまとめました

GOINGさん

レスター・シティFC(Leicester City Football Club)は、イングランド・レスターシャー・ レスターをホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 創設年 1884年。

日本代表FW 岡崎慎司が所属

岡崎 慎司(おかざき しんじ、1986年4月16日 - )は、兵庫県宝塚市出身のプロサッカー選手。プレミアリーグ・レスター・シティFC所属。日本代表。ポジションはフォワード。日本代表得点で歴代3位。

どん底から王者へ プレミアリーグ初優勝

世界中が「英国サッカー史上最大の奇跡が起こった」と驚いた。5月2日、イングランド・プレミアリーグで日本代表FW岡崎慎司(30)の所属するレスターが創設133年目にして初優勝を決めた。昨季は降格危機から辛うじて残留、20クラブ中で年俸総額が17位、開幕前の優勝オッズは5001倍だった"超大穴"。岡崎は攻守で献身的な働きを見せ、番狂わせの主役の一人と称(たた)えられた。

1992~93年シーズンに発足したプレミアリーグ。過去23シーズンの優勝はマンチェスターU13度、チェルシー4度、アーセナル3度、マンチェスターC2度、ブラックバーン1度の5クラブだけ。いずれも優勝前季は3位以内だった。2部から11季ぶりに復帰したばかりの昨季、降格争いの末に14位に終わったレスターの優勝が、いかに異例かが分かる。5001倍のオッズをつけたブックメーカーも「絶対にあり得ない"超常現象"との位置付け」という。

昨季の残留は最下位から、残り9試合に7勝して逆転したもの。堅い守りからボールを奪い、速攻につなげるシンプルで組織的な戦術と、豊富な運動量が勝ち点を積み上げていった。優勝までの成績は22勝3敗11分けで勝ち点77。ゴールを量産したFWバーディー、MFマフレズ、リーグ最高のインターセプトを誇るMFカンテの活躍が目立ったが、岡崎の貢献も大きい。ドイツ・マインツから今季移籍した岡崎は優勝決定まで5得点だが、FWでありながら相手のボールを追い回し、ピッチを走り回って攻守どこにでも参加する。その存在感は、チームの「堅守速攻」にマッチしたようだ。プロ12年目で初のリーグ優勝を経験した岡崎は「自分がいたから優勝できたとは思わない。もっと上に行けると感じている」と、新たな可能性に挑戦し続ける。

弱者のサッカーと言えば、堅守速攻、運動量、ロングカウンターなどの言葉が浮かび、サッカーのプレミアリーグのチームで言うと、レスター、バターズフィールドなどがそれに当たります。

レスターをどん底から這い上げたラニエリ監督

クラウディオ・ラニエリ(Claudio Ranieri、1951年10月20日 - )は、イタリア・ローマ出身の元サッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。

2015年7月、電撃解任されたナイジェル・ピアソンの後を受け、クラウディオ・ラニエリが監督に就任。かつては「下手な修理工」なんて呼ばれたこともある。ラニエリ監督に与えられた使命は「プレミアリーグ残留」。プレミアリーグ2014-2015シーズンの順位は14位。レスターとはそういうチームだった。
ラニエリ監督がとった戦術は、速さと強さを併せ持つFW・ジェイミー・バーディーを活かすカウンター。シンプルな堅守速攻だ。難しいことはやらない、いやできない。このバーディー、数年前まではサッカーだけでは生活できず、工場勤務をしていた。雑草軍団と呼ばれるレスターを見事な手腕で、ラニエリ監督がまとめあげた。先発メンバーをほぼ固定し、戦術はシンプルな堅守速攻。この戦術に岡崎慎司のサッカースタイルがマッチした。

フォワードでありながらのチームに対する献身的な守備とハードワーク。我々日本のファンが知っている、いつもの岡崎だ。プレミアリーグ2015-2016での岡崎のフル出場は、ほとんどない。岡崎は倒れるまで走り続けているのである。岡崎のハードワークに刺激されてか、他の選手もハードワークをするようになった。

優勝に貢献したジェイミー・ヴァーディ

ジェイミー・リチャード・ヴァーディ(Jamie Richard Vardy, 1987年1月11日 - )は、イングランド出身のサッカー選手。イングランド代表。レスター・シティに所属しており、ポジションはストライカーであるが、ウイングも務めることができる。

どん底の人生

一躍大きな注目を浴びているのが、レスター・シティのFWジェイミー・ヴァーディーだ。この岡崎慎司の相棒は、いわば遅咲きの苦労人。その「知られざる波乱万丈伝」とは――。

ほんの3年前まで、ノンリーグ(アマチュアやセミプロを含む5部以下のリーグの総称)でプレーしていた。
ヴァーディーが辿ってきた道は、決して平坦ではなかった。最初の挫折は15歳の時。幼い頃からファンだったチームでプレーしていたが、「身体が小さい」という理由でクビを宣告されてしまう。10代の少年にはダメージが大きく、8か月もボールを蹴らない時期が続いた。

その後、ヴァーディーは炭素繊維工場で働きはじめ、8年間にわたって従事する。
「身体障害者のための補助器具を作る仕事だった。重たい原料を高熱のオーブンの中に運ぶんだ。その作業を1日に何百回も繰り返す。背中にはつねに大きな負荷がかかってね。身体には良くなかったと思うよ」

警察沙汰にも

その後、セミプロクラブの勧誘を受ける。熱心に説得され、同クラブの下部組織でふたたびサッカーをはじめた。工場勤務を続けながらリザーブチーム、そしてトップチームへと昇格し、順調に階段を登っていった。当時の出場給は1試合30ポンド(約5100円)程度。それでも、サッカーで給料をもらった経験がなかったヴァーディーにとっては、大きな喜びだった。

難聴だったその友人が馬鹿にされたのが原因で他のグループと殴り合いの喧嘩になり、暴行容疑で逮捕されたのだ。執行猶予はついたものの有罪が確定し、6か月間、所在がすぐに分かるように足首に電子タグを装着させられた。当然、サッカーをしている時も取り外すことは許されなかった。一般的に、電子タグを着けられた人間は夜間の外出を制限される。彼も試合後には、すぐ帰宅しなければならなかった。

どん底からクラブの立役者へ

やがてプロチームを含めた多数のクラブから注目を集めるようになる。そして10年8月、強豪クラブと契約。このタイミングでようやく工場の仕事を辞めて、サッカー一本で生計を立てる決意をした。退路を断ったこの決断こそが、小柄なストライカーの成長を促す起爆剤となったのだ。サッカーに打ち込めるようになったヴァーディーは、1年目からゴールを量産して、チームの得点王&最優秀選手賞を獲得。6部昇格に多大な貢献を果たした。

その後、レスターが強い関心を示し、12年5月にノンリーグの選手としては史上最高額となる移籍金100万ポンド(約1億7000万円)で入団が決まる。そして加入2年目には、16得点を挙げるMVP級の働きを見せ、チームを10年ぶりのプレミアリーグ昇格へと導いた。
「これまでピッチ内外で様々な問題があったけれど、ジェイミーはそれらにしっかり向き合い、克服してきたんだ。」

プレミアリーグ得点ランクのトップに君臨。一気にスターダムに伸し上がった。
紆余曲折を経て這い上がってきた男に、失うものなど何もない。ピッチ上のプレースタイル同様に、いつでも最後まで諦めずに挑戦し続けるはずだ。

-Uncategorized

×