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リオパラリンピック最高栄誉賞を受賞。【難民選手団】のフセイン選手とは


リオ五輪、パラリンピックで初めて結成されたIPA(難民選手団)

「難民選手団」は、紛争などで母国を離れ難民となった人たちに光を当てようと結成されるもので、パラリンピックでは初めての試み。特定の国に所属しない難民選手団では、国旗ではなく、パラリンピックの旗が使用され、また、各国の選手団と同様、大会期間中は選手村に滞在するという。

2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは、4000人以上の身体・知的・精神障害のあるアスリートが22種目で競技する。この大会はインクルージョン(多様な人間がお互いに認め合って受け入れること)の促進を目的としているが、難民選手には、もう一つの使命がある。それは、世界各地で強制的に追い出された6500万人以上に及ぶ難民たちの苦境を世界中に知らしめることだ。

「独立パラリンピック選手団は、障害のあるすべての難民が大きなハンディキャップを克服する、強さと決意の象徴だ」と、フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官は声明で述べた。「パラリンピックに難民チームが加わることで、世界中の障害者難民や亡命希望者たちすべてに力強い支援メッセージを送ることになるのです」

その難民選手団の選手がパラリンピックの「最高栄誉賞」を受賞

選手の中からファン・ヨンデ功績賞の受賞者が選ばれる。ファン・ヨンデ功績賞は、成績にかかわらず、パラリンピックの精神を体現し、世界中に感動を与えた選手男女1人ずつに贈られる。今大会はイブラヒム・アル フセインとタチアナ・マクファーデンが選ばれた。

シリア出身の難民、フセイン選手の人生

三本の曲線を描いたパラリンピックの旗を高々と掲げながら笑顔を見せたフセイン選手。数年前は笑うことなどできなかった。

 「右脚とともに夢も吹き飛んだ」。大会組織委員会のホームページでそう語ったフセイン選手は、競泳で五輪出場を目指していた。

シリアのデリゾールで成長した少年イブラヒム・アル=フセインはかつて、ユーフラテス川で泳いでいました。街の有名なつり橋が彼のスタート台であり、飛び込み台でした。

おそらく、ここで彼ものびのび遊んでいたのでしょう。

水泳のコーチであった彼のお父さんに水泳を教わった彼は、13歳の時、地区大会を勝ち進み、ついには同年代のシリアチャンピオンとなりました。

生まれ育ったシリア東部のデリゾールは、二〇一一年に内戦が始まってから、政府軍と反体制派、過激派組織「イスラム国」(IS)が入り乱れる激戦地になった。一三年のある日、戦闘に巻き込まれた友人を助けようと飛び出した路上にロケット弾が落下。爆発して右脚の膝から先が吹き飛んだ。

絶望と痛みに耐えられず、トルコへ逃げ出した。さらにボートに乗ってたどり着いたギリシャで、転機が待っていた。

リハビリを受けながら、難民支援に携わる女性に促され、再びプールへ。満足に泳げなかったが、続けるうちに水をかく感覚が戻ってきた。練習が生きる喜びとなり、新たな目標がフセイン選手を奮い立たせる。

彼の人生を変えたのはその2年後、2016年のリオデジャネイロオリンピックにおける難民を代表した聖火ランナーに選ばれた時でした。

「私がオリンピックに出場できると知ったとき、私は幸せすぎてじっと座っていることができませんでした」とイブラハムは言います。「眠りたくても、眠ることができませんでした。それほど素晴らしい気分だったのです。」

現在フセインは、身体障害のある運動選手を支援するギリシャ国営の非営利団体ALMAのもとで、週3回の水泳トレーニングに励んでいる。さらに彼は週に5回対抗試合をする車椅子のバスケットボールリーグにも所属している。

過密なトレーニングスケジュールと忙しい仕事のスケジュールをやりくりし、フセインはアテネ郊外のカフェで10時間の夜勤をこなしている。

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