結構自由?山田大樹のヤクルト移籍で注目される山田哲人の登録名
▼山田大樹投手の無償トレードが、ヤクルトと合意に達したと発表された
アフロ
山田大樹/Hiroki Yamada (Hawks), NOVEMBER 26, 2011 - Baseball : Japan's Fukuoka SoftBank Hawks starting pitcher Hiroki Yamada delivers a pitch during their Asia Series 2011 baseball game against South Kor… by 写真:ロイター/アフロ
ヤクルトは11日、ソフトバンクを戦力外となっていた山田大樹投手(29)を獲得したと発表した。背番号はソフトバンク時代と同じく「34」。12日から愛媛・松山秋季キャンプに合流する予定となっている。
山田はつくば秀英高から2007年、育成ドラフト1巡目でソフトバンク入り。4年目の10年シーズンから4勝、7勝、8勝と着実に白星を積み重ね、12年は148回2/3を投げ防御率2.78を記録し、育成選手として初の規定投球回クリアを果たした。
だが、13年以降は出番が減り、今季の一軍登板は2試合のみ。それでもウエスタン・リーグでは、10勝5敗、防御率2.35の数字を残した。
・ソフトバンクの公式ホームページでコメントを発表
「ホークスでの11年間は、僕の人生を大きく変えてくれました。育成から支配下へと上がり、ヤフオクドームで投げた初登板とお立ち台の情景は今でも鮮明に覚えています。リーグ優勝、日本一を経験できた事も僕の人生の中で大きな出来事ですし、日本シリーズで勝利投手になれた事は本当に嬉しかったです」
「また新天地で、更なる躍進を目指して野球に励んでいきたいと思います。福岡で沢山のファンの皆様に応援して頂いたこと本当に感謝しています。この強いホークスでやれた事を誇りに、行ってきます!」
ヤクルトは今季も故障者が続出し、球団ワーストとなるシーズン96敗(45勝2分)を喫し最下位に沈んだ。チーム防御率もリーグワーストの4.21。実績のある山田にかかる期待は大きい。
▼これによってヤクルトに「山田」が2人…元祖山田の山田哲人の登録名はどうなる?
名字がかぶった際に多いのは、名前の1文字目をとり『山田哲』となるパターンであるが、ヤクルトファンの間でにわかに盛り上がりを見せているのが『T-山田』を推す声である。
山田哲人といえば、履正社高時代に高校の先輩であるT-岡田(オリックス)にちなんで『T-山田』の異名をとっていた。プロ入り後はすっかり目や耳にする機会も減っていたが、ここに来ての復活に期待する声がSNS上などで浮上している。
・チーム内の同姓を区別するために一方を変更することも
阪神1年目の2010年には、チームの看板選手として活躍していた同姓の藤川球児と区別すべく、スコアボードや報道などで藤川俊と表記されていた。翌2011年から、登録名を「俊介」に変更。球児が他球団に在籍していた時期(2012 - 2015年)や、球児が阪神に復帰した2016年以降も、この登録名を使い続けている。
▼結構自由なプロ野球の登録名、中には変わったものも…
プロ野球選手の登録名をさかのぼると、草創期には多くの選手が本名と異なる選手名を名乗ってきた。その多くはさらなる活躍を期して縁起をかついだものだ。「芸名」に近いかもしれない。その場合でもすべて「苗字+下の名前」で登録されてきた。
中日ドラゴンズの川井進が雄太(川井雄太)に変更したり山本昌広が「山本昌」で登録している。
・名字なし、名前のみパターン
当時の仰木彬監督がともに「同じ苗字が多くてまぎらわしい」という理由で変更させたものだが、この年、イチローがNPB記録の210安打をマークするなど、大ブレークしたために、以後「名前」のみを登録名とする選手が急増した。
サブロー、銀次、大和、由規など…
・ローマ字表記でスコアボードに表示されることも
今さっき西岡が登録名を2007年だけ『TSUYOSHI』にしていたことを初めての知った。 pic.twitter.com/WBGC3ne6eZ
阪神の西岡剛はロッテ時代の07年だけ「TSUYOSHI」、04年に大リーグから日本ハムに移った新庄剛志は「SHINJO」を名乗った。
・ニックネームがルーツになっている登録名
パンチパーマの髪型で「パンチ佐藤」と呼ばれ、面白い話術は今でも多くの野球ファンの記憶に残っている。まさに「記録よりも記憶に残る男」だった。
奇しくも岡田監督と同じ「岡田」姓だったT-岡田選手。
この一言をきっかけにして、登録名改案のアンケートがファン向けに実施されたのです。
そして7000票近い投票の末、本名の「貴弘(TAKAHIRO)」やティラノサウルスの学名の略表記「T.rex」に由来する「T-岡田」となったのです。
当時のオリックス岡田彰布監督と名字がかぶったため「T-岡田」に。