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甲子園を沸かせたヒーローたち


全国高等学校野球の聖地、甲子園。全国の高校球児の憧れの的でもある球場を興奮と感動につつんだヒーローたち。

甲子園のヒーローをまとめてみました。

怪物江川卓は、中学時代から全国にその名を轟かせました。
特に甲子園大会の予選ですら、その注目度から球場が超満員になるほどでした。

「怪物・江川」のストレートは既にプロレベルに達していた。時速150kmを越す球速で打者の手元で高めにホップするため、高校生にはバットに当てることすらままならなかった。ファールチップすると観衆からどよめきが沸いたものだ。

甲子園決勝でのノーヒットノーラン達成は圧巻。まさに平成を代表する甲子園の怪物でした。

高校3年間を通して松坂は公式戦で1敗しかしていない。さらに舞台が甲子園になると11勝0敗(6完封)防御率0.78と異次元の数字を叩き出している。チームとしても松坂らの代が中心となってからは公式戦44連勝を記録した。
その中でも1998年のセンバツを優勝し、春夏連覇がかかった3年夏の甲子園はもはや伝説だ。

高校1年の夏の甲子園から注目を集めたまさに甲子園の申し子でした。

主砲・清原和博とのKKコンビで一時代を築く。優勝2回を含めて5季通算20勝(3敗)は戦後最多(史上2位)、夏14勝(1敗)は大会最多勝タイの大記録。これほど傑出した投打の主役が同一チームに出揃う例は今後まずないだろう。

高校3年の夏の甲子園で、5連続敬遠という前代未聞の経験をし社会問題にまでもさせた怪物ぶりでした。

ライナー性の弾道で甲子園球場のバックスクリーンに運ぶ並外れたパワーや、打撃練習であまりにも柵越えを連発するため練習場のライトフェンス後方に特別のネットが取り付けられるなど、桁外れの話題性から「20年に1人の怪物」と言われていた。

北海道に史上初の全国高校野球優勝をもたらした大投手。

平成17年夏の選手権優勝投手。前年の北海道勢初の全国制覇に続く2連覇の立役者。3連覇を狙った18年夏は決勝で引分再試合の激闘の末、斎藤を擁する早実に1点及ばず。甲子園では無敗。

世界のホームラン王の原点ともいうべき甲子園での活躍で、一躍スターダムにのし上がりました。

1940(昭和15) 年に東京の本所区(現在の墨田区)で生まれた王貞治は、地元の中学から早稲田実業高校へと進み、甲子園に春夏通算4度も出場。2年時の1957(昭和32)年春の選抜大会を「4番・ピッチャー」として制している。当時の出場校は20校、大会期間はわずか1週間で、なんと4日間4連投と今ではありえないスケジュール。左手にできていた血豆をつぶしてしまい、準決勝の久留米商業高校戦、決勝の高知商業高校戦では“血染めのボール”を投げ続けての栄冠だった(スコアは5-3)。

甲子園のアイドルと言われた選手の中でも実力も兼ね備えた代表的存在。

故障したエース芳賀の代役で、無心で臨んだ1年生投手が、東東京予選はおろか夏の選手権で4完封、44回1/3連続無失点の好投でいきなり準優勝。デビューも鮮烈だが、5季連続の甲子園で12勝(5敗)は見事。大ちゃんフィーバーは社会現象となった。控え投手に石井丈裕がいた。

高校1年から強豪PL学園の4番打者を任され、甲子園での活躍は戦慄的なものでした。

1年生の夏に優勝、2年生の春、夏は共に準優勝。

3年生の春はベスト4、そして3年生の夏には2度目の優勝を経験しています。

すべての大会でベスト4以上という驚異的で、素晴らしい結果を残しました。

甲子園通算成績は、91打数40安打、打率.440、本塁打13。

これほどのスターはもう現れないのでは?

と、野球ファンの間では大騒ぎになりました。

高校1年から活躍した打者としての甲子園のアイドルの代表的存在。

1年生から三塁手のレギュラーとして活躍。夏の甲子園に3年連続で出場し、1975年の春の甲子園にも出場している。この大会では決勝戦まで勝ち進み、延長の末に高知高校に敗れたものの、準優勝という成績を収めている。甲子園の各大会では、後にプロ野球でも活躍する定岡正二[13]、宇野勝、土屋正勝、杉村繁らと名勝負を繰り広げている。地区大会の神奈川県大会では、川崎球場を満員にする程の「原フィーバー」を巻き起こした。

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